仕事で使っている丸ノコのひとつが、刃が振れるようになったので修理に出した。
だいぶ年季が入ってるけど何年前のだろうとラベルをよくよく見たら、自分がこの仕事に就く以前の物だった。
仕事で使っている丸ノコのひとつが、刃が振れるようになったので修理に出した。
だいぶ年季が入ってるけど何年前のだろうとラベルをよくよく見たら、自分がこの仕事に就く以前の物だった。
1980年から使われてるとは限らないけど、親方の若い頃からあるものだからほぼそれくらいは経っているはず。
仕事をするのに丸ノコを出さない日はまず無いのに、考えてみるとすごい耐久性だと思う。
もちろん刃のチップ・ソーは切れ味が鈍れば随時替えているし、スイッチの接触不良や電源コードを切ってしまったりして部品を交換した事はあった。ベアリングも一回くらいは替えたような気がするが、それにしてもろくなメンテも無しに大元の機能が30年近く維持されているのだから、大した持ち様だ。
それに比べたら、空圧工具のデリケートな事。空圧で釘を打つネイル・ガンなんて、ここ十年でいくつ買い換えただろう。今は種類も用途も様々だが、どれもエア漏れ等で修理に出した回数は数え切れない。
まあ、単純なモーター駆動の工具とでは比較の対象にはならないかもしれないけど。
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逆に掴み道具と呼ばれる、昔からの道具は長持ちだ。ノミなんて極端に言えば研ぎ切るまで使える。
初めはどちらも同じくらいの長さがあったのだが、一番よく使う左のは研ぐ頻度も高いので、いつのまにかこんなに減ってしまった。あんまり短くなっても使いにくいのだが、まだ10年近くは使えると思う。
余談だけどノミの柄というのは玄能(かなづち)で叩かれるので、だんだん潰れて短くなってくる。でも交換用の柄があって、ちゃんと挿げ替えられるようになっている。
まあ、買って来てそのままポン付けというわけにはいかず、セッティングのような微調整は必要だけれど、単純な構造でうまく考えたもんだと思う。
そういえば玄能。これなんか使ってるうちに傷んでくる柄さえ替えていれば、失くさない限り半永久的に使えるんじゃないかな。
ということは。
何十年後かに自分が年老いて廃業しても、あるいは死んでいなくなったとしても今使っている道具の一部は、道具としての機能を保ったまま残されるのだろうな。
先の電動や空圧の工具はそれほどでもないが、研いだり工夫したりして、自分なりに調子を出す道具に対しては我々は思い入れと愛着を注ぎ込む。上手くいった事、いかなかった事。楽しかった事、辛かった事などの記憶と共に。
主を失ったそれらはどうなるのだろう。傍目にはがらくた同然なんだろうけども。
そんなことを考えると、ちょっと切ない。
できれば使い手として線を引く時に、人に譲るか、残った物は自分で処分できればいいな。そしてきれいさっぱり片付けてからいなくなりたい。焚火と同じように、なるべく痕跡は残さずに。
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なんてことを考えていたら、自分が今まで乗ってきたオートバイに関してはそこまで思ったことがないのに気が付いた。
乗ってて楽しい時は愛着だの何だのと聞こえのいい事を言ってるけれど、気になるモデルが出るとすっかりそっちに心移りしたりして。思い入れの割には丸ノコ以下の扱いだな(苦笑)
身の回りの物にしたってそう。ずっとずっと使って来て、これからもそのつもりでいるものなんて思い浮かばない。すぱすぱとその時々で、切り捨ててきたのだろうか?
物に対して移り気なのは自覚している。でもそれは、余計な執着を増やさないという点で、もしかしたら役に立っているのかもしれない。
これっていいことかそうでないのか、どっちなんだろう?