今日はここまでとされていた仕事が、思ったより順調に進んで3時頃終わった。
珍しい。
じゃあ、明日の仕事の取っ掛かりだけでも済ませておこうかと思ったら、
工程表にない事はやってもらっては困る、とお客さん。
それではなんのための工程表なのか、と。
元請が工程を組むと、たいてい後半はぎゅう詰めになる場合が多い。
後の事を考えると、前倒しできることはしておくに越した事はないのだが、
おっしゃることは至極正しい。
ごもっともです。
という訳で、まだ太陽が高いうちに早帰り。
たまにはいい。
今日はここまでとされていた仕事が、思ったより順調に進んで3時頃終わった。
珍しい。
じゃあ、明日の仕事の取っ掛かりだけでも済ませておこうかと思ったら、
工程表にない事はやってもらっては困る、とお客さん。
それではなんのための工程表なのか、と。
元請が工程を組むと、たいてい後半はぎゅう詰めになる場合が多い。
後の事を考えると、前倒しできることはしておくに越した事はないのだが、
おっしゃることは至極正しい。
ごもっともです。
という訳で、まだ太陽が高いうちに早帰り。
たまにはいい。
殻の付いたものは、自分で剥いて食べる。
指に力を込め、爪を立て、あるいはささやかな道具を使って殻を剥くと、
外側とは明らかに異質な、小さな力を凝縮したような中身が現れる。
自分とは異なる命が貯め込んだ、生きるため、種を繋げていくための結晶。
それを取り出して口にするのは、ある種の原初の悦びさえ感じることがある。
なんて思うのは、ヘンか?
ふだんは忘れている遠い遠い過去の記憶が、そんな事を感じさせるのか。
だから剥いて貰うより、自分で剥くのが好きなのだ。
そして、あんまり殻付きに執着のない妻にも剥いてやる。
ほら、お食べ。
遠い遠い昔、夫だったり父親だったりした私は、家族にそんな事を言っていたのかもしれない。
なんて、なぜか意識が遡るんだよな、殻付きって。
***
果物賛歌ももちろんある。
林檎は剥いて食べる事もあるけど、丸のままや、単にこんなふうに割るだけ時も多い。
林檎ファンとしては、紅玉よりもう少し小振りで、パキッと固く甘酸っぱい林檎があればいいのに、なんて思う。
バンダナに包んでタンクバッグに入れて行って、ツーリング先のおやつにするのだ。
缶コーヒーもいいけどそういうのもよくない?
道の駅や高速のパーキングで売ってくれないかなぁ。
上はざくろだから剥かなくてもいいんだけど、果物もたいていは自分で剥いて食べる。
剥いてくれない訳じゃないよ、とかいうと、なるほど剥いて貰えないんだな、と思われそうだけど。。
一緒に暮らすようになって間もない頃、オレンジの皮を中の薄皮ごと林檎みたいに螺旋に剥いて、
櫛型に切って出してくれたことがある。
房の隔壁は口の中でまったく苦にならない。
それを知ってからオレンジを食べるのが大好きになった。
いろんな事を分け合って私たちは暮らしている。
木の実や果物は、そんな事の象徴にも思えるのだ。
少なくても、私にとってはね。