久しぶりにライブに行ってきた。
今回は“かりゆし58”。
久しぶりにライブに行ってきた。
今回は“かりゆし58”。
彼らのステージを見るのは実は二回目。
去年の夏に行った山中湖のフェスにも出ていて、最後のステージでサザンの桑田さんに
「かりゆしゴッパー!」などと叫ばれて、困り笑いしていたのが記憶に新しい(笑)
その時はほんの数曲だったんだけど、短い時間でもちゃんと彼ららしいMCもあったりして
乗せ方も上手いと思ったものだが、今回はアンコールも含め曲もMCも、目一杯楽しませてくれた。
歌詞はいわゆる青春の、あるいは人生の応援歌的なものも多いのだが、
個人的にはそういうのは苦手だ。好きじゃないと言ってもいい。
人生の折り返しを多分、とっくに過ぎた身にはそうそう世を望んで走るほど身軽でもなくなっているし、
時には後ろを向いたまま、立ち止まっていて何が悪い、という気分の時もある。
勝手に持ち直してまた歩き出すから、しばらくほっといてくれんか、若い衆? なんてさ。
でも歌詞の中に「過ぎ去ったページ」だの「残された余白」なんて言葉を見つけて、
ドキリとさせられるのも事実。
「やり残した事はないかい」なんて問われると、否が応にもまた歩き出す気にもなってくる。
あと、一番最近聴いて泣きそうになったのが彼らの曲だったのも付け加えておこう。
「アンマー」というのは彼らの故郷、沖縄の言葉で「おかあさん」を意味する。
歌詞のように私自身が若い頃、手の付けられないほどぐれ倒していて、という訳では全然ない。
ないったらない(笑)
勉強はできなかったけれど、引きこもる事も周りに牙をむくような事もなく、
どちらかといえばノホホンとした思春期を過ごしたまま今に至っているようなものなので、
それほど母に迷惑を掛けたつもりはない。
なのになぜかこの曲を聴くと涙腺が緩む。なんでだろう…。
オトコは詰まるところ皆マザコン? そうかもしれない。
でもそれだけじゃないのだ、きっと。
むやみに明るいでもなく気取る訳でもなく、訥々としゃべり、時々笑かすMCも独特な魅力を感じる。
ドラマや映画のタイアップもあってメジャーへの階段を確実に登っている彼らだけど、
そういういい意味での素人っぽさは変わらず持ち続けて欲しい。
大きなホールより、かけた声がじかに届くライブハウスが似合う、“かりゆし58”だった。
いいステージをありがとう。名古屋は良かったろ?(笑)
また来ておくれ。