蝉時雨が響くようになり、やっと梅雨も明けそうだ。
暑さが厳しくなるのはイヤだけど夏本番だなぁ、どっか行かなきゃなぁ、と能天気に思ってしまうが、大雨による災害に遭われた方々はそれどころではないだろう。梅雨明けの暑さの中で、洪水や土石流の被害で破壊された自宅や町を片付け、復旧していくのは想像しただけでも大変である。
で、今、思い出しているのは六年前の東海豪雨の後の事なのだが。
蝉時雨が響くようになり、やっと梅雨も明けそうだ。
暑さが厳しくなるのはイヤだけど夏本番だなぁ、どっか行かなきゃなぁ、と能天気に思ってしまうが、大雨による災害に遭われた方々はそれどころではないだろう。梅雨明けの暑さの中で、洪水や土石流の被害で破壊された自宅や町を片付け、復旧していくのは想像しただけでも大変である。
で、今、思い出しているのは六年前の東海豪雨の後の事なのだが。
名古屋市西区あし原町で、新川の堤防が決壊し周辺が数日間水没した事は、「東海豪雨」でググるとたいてい出てくる。実はその決壊現場から30メートルほどのところに叔母の家があった。
水の力って凄まじい…。
水が引き、片付けと壊れた家を直しに行ってまず思った事だ。あちこちのガードレールや電柱の控えのワイヤーに、車が不自然な姿勢で引っ掛かっている。
小田井の駅前にあるプジョーのショールームは、車と泥水を入れてシェイクしたガラスケースみたいだ。
道路の上は泥と砂がつもり、辺りが妙に白っぽい。壁が抜けた建物があちこちにあり、公園は水に浸かった畳や家具で埋まりつつある。内戦とか内乱が続く国って、どこもこんな風なのかもとふと思ったりした。どこにでもある町で、とにかく非日常な光景が溢れているのだ。
叔母の家は、台所の窓を突き破った濁流が、鴨居の高さで家の中を通過していた。南側の掃き出し窓は、サッシの枠ごと無い。そこから抜けていったのだろう。
翌日から毎日作業に通った。原因は水害だが、痛んだ家屋を直すのは自分にとっては普段の仕事と変わりはない。
場所が場所だけに報道関係者も毎日のようにやってくる。応急処置された決壊現場や、破壊された家屋を撮影する、テレビの取材班やリポーター。
困った事に彼らの振る舞いが、という話では、ない。
殺人事件などが起きるとマスコミが押し寄せ、近隣は大迷惑という話も時々聞くが、そんな感じを受けたことはなかった。事件性の違いだろうが、淡々と仕事をこなしてすぐ次の場所に、という印象だった。
逆にとても不愉快な思いをさせてくれたのはアマチュア・カメラマン?らしき連中だ。
雰囲気としては定年退職後、趣味で写真を始めたようなおじさん達。小ぎれいなカメラマンベストに小さなカメラバッグ。退職金による資金力で揃えた機材は、いきなりEOS1vやニコンF5に大口径ズームみたいな。
一階部分はほとんど廃墟のようになった家の中で、懸命に泥を掻き出し畳をめくる、その家の住人と我々に、濁流でなぎ倒された塀をまたいで他人の敷地に入り込み、無言でレンズを向ける彼ら。
被災者を撮るのは楽しいですかそうですか。
ツーリング中は温和な私も、現場ではたまにキレます。
***
メディアが取材し報道する、ということは責任を伴う事だ。取材される側に配慮するのは勿論だし、不手際があれば謝罪を求められる。彼らはプロなのだから。扱うのがゴシップではなく、災害なら尚更だ。
また、通信環境があればだが、被災した側が被害の様子を撮影し、ブログで発信するというのも誰も傷つける行為ではない、と思う。メディアが報じるニュースより主観は混じるものの、よりリアルな報道にもなるかもしれない。
どっちにしても受け取る側は大半が野次馬的観点だろうが、それによってなにかを感じた者が神戸や山古志へボランティアに向かったように、発信側の力になる、という事もあるだろう。
しかし、くだんのおじさん達からは必然も責任も配慮も、何も感じられない。
おお、スゲー! こんなシーンは滅多に見られないぞ。
せいぜいそんなところだろう。 撮影する事しか頭に無く、繊細な棚田を破壊しているのに気付かない心理と、根っこは同じかもしれない。
***
人が痛みを感じているシーンに、素人は軽々しくレンズを向けるべきではない。
自分さえ満足できれば良い、なんてことは道楽においてもないのだ。
おじさんもヤングも、写真でもバイクでも、自らを律する、ということは忘れてはならない。
今回はちょっと説教臭かったかも…(苦笑)