奈良へ行ってきた。
実を言うと前々から仏像に興味があって… ということは全然ないのだけれども、
興福寺の阿修羅像を見てみたいと思って。
最近まで知らなかったのだが、阿修羅像といえば興福寺というくらい有名らしくて、
その端正な顔立ちは「美少年」と評され、ファンクラブまであるらしい。
多くの場合、そういう人気者であるほど「じゃ、自分は見なくてもいいや、混んでるし」と、
避けて通りたくなるのだが、多くの人々が魅力を感じ続けているのは、それだけの理由があるはず。
それを自分で遠ざけてしまうのは、もったいないかもしれないな、と。
という訳でちょっと手が空いた先週の平日、東名阪・名阪国道を走り繋いで
いきなりメインイベントの興福寺へ。
展示されている国宝館は、国宝と言うだけあって施設も内容も充実していて、
たとえそういうジャンルに疎くても、、発するオーラが感じられるような展示の数々は見事。
その中のハイライト、ずらりと居並ぶ守護神像の真ん中に「美少年」はいた。
館内では撮影できないので、写真は画像検索から拝借しました
保存状態がいいのもそれを強調しているとは思うが、
たしかに端正で、整った顔立ちは正統派の美しさがある。
容姿端麗かつ頭脳明晰、というのが三面六臂の阿修羅天に当てはまるかはともかく、
印象としては確かにそんな感じ。
仏教美術の王道のど真ん中に立つ存在感で、人気があるのもわかるような気がした。
と、納得はしたものの、個人的にもっとも琴線に触れたのは、
向かって一番左の隅に立つ迦楼羅(かるら)像だった。
鳥頭人身、異形の仏法守護の神。
くちばしのある顔は、インド神話のガルーダに由来するという。
なにかを携えていたであろう右手は失われてしまっていたりして、
状態は決して良いとは言えないが、それでもなお、この眼差しと滲み出る静かな力感はどうだ。
仏像を見て心に響いたことはあんまりないが、今回は別。
と、ステージのセンターに立つ正統派そっちのけで、
一番隅っこに釘付けになる私がいたのだった。
***
その後は興福寺から程近い、東大寺にも行ってみた。
小学校の修学旅行以来ということは、30…何年ぶりだ?
東大寺といえば大仏。
必然として大仏殿へ向かってみたが、主役の大仏像よりも梁や柱や天井の仕事を
見ている時間のほうが長かったような。
そして後ろの薄闇に立つ、広目天と多聞天の迫力に目を見張る。
こういうのを幼い頃から見ていたら、みうらじゅんじゃなくても仏像マニアになりそうだ。
あるいは例えば早朝のまだ人気のない頃。
ことごとく色褪せて剥げ落ち、見ようによっては辺境の廃墟を思わせるような
朱塗りの門をくぐってここを訪れたとする。
静まり返った中、朝の斜光を受けて立つその姿を見上げたなら、それはさぞかしクールな光景だろう。
そんなことも思った。
いくら早起きして来ても、そんな時間には立ち入る事ができないけれども。
と、いろんな面で興味深い東大寺であった。
***
その日は奈良市内で宿を取り、翌日は薬師寺と法隆寺へ。
エンタシス具合がたしかに古代ギリシャと通じるものがあるようにも見える、法隆寺の回廊。
でも、これだけのものを木造で作る人々が、独立する柱を安定させる形状だけを
ギリシャ式にするというのも不自然なような気もするが。
一通り見て駐車場へ戻ろうとする時、気が付くと周りの人気が絶えているのに気付いた。
来た時は修学旅行の生徒たちが押し寄せていたが、それももぱったりと姿を消している。
写真のExifによると、時間は13:30。
参道もこの通り。
絵葉書にあるような観光客の写っていない写真は、
カメラマンが人の途切れる瞬間を何日も辛抱強く待って撮る、なんて話を聞いたことがあるが、
それがこういうひと時なのかもしれない。
最後は明日香まで足を伸ばし、石舞台に寄った。
ここはブログを始める数年前、この辺りに詳しい友人に誘われてバイクで訪れたことがある。
たしか11月くらいのひどく寒い日で、夜、天理の街でフリースのインナーを買い足したんだっけ。
ここ何年かは一緒に走ってないけど、元気でやってるかな。
初夏のような陽射しの中で、そんな事も少し思った。
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そういえば、途中の神社でおみくじを引いてみたら。
奥ゆかしく、末吉(笑)
旅立ちで得るものを利益とはあまり思ったことはないが、とにかく遠い方がいいらしい。
有益無益織り交ぜて、今年もどこかへ。