去年、仲間達と集まったときにしらびそ高原の話が出て、次はそこへ行ってみようか、
なんて話だったのだが、抜け駆けして昨日、ひとりで行ってきた。
だって平日に「明日さぁ…」なんて言い出すのもなんだし。
きちんとした社会人は、ある程度予定に基づいて行動しているものらしいし。
とかなんとか。
去年、仲間達と集まったときにしらびそ高原の話が出て、次はそこへ行ってみようか、
なんて話だったのだが、抜け駆けして昨日、ひとりで行ってきた。
だって平日に「明日さぁ…」なんて言い出すのもなんだし。
きちんとした社会人は、ある程度予定に基づいて行動しているものらしいし。
とかなんとか。
ところで、しらびそってなんだ? というのは以前からの疑問で、特に「びそ」というのが気になる。
なんかこう、民俗寄りのどろどろした気配を感じるのだ。
きっと元々は常用漢字にはないような文字で書かれていたに違いない。
かつての古い山村には素朴だけでは済まない、いろんな事があったんだろうなぁ… とかなんとか。
で、記事を書きかけて検索してみたら、マツ科モミ属にシラビソという木があるのが分かった。
シラビソがたくさん生えている峠、という事か。
なんと爽やかな。どこがどろどろだ。
妄想とはうらはらに、実際は清々しいほどシンプルであった。
本題に入ろう。
木曜の朝、いつものように中央道へ。
それなりに多い車に混じって淡々と飯田まで。
県道251を下って、なぜかここだけできている三遠南信道の矢筈トンネルを抜けてR152へ。
高遠方面に向い、すぐ右折して九十九折れをぐんぐん上った先がしらびそ峠。
あっさり着いてしまった。
雲が高く空気が澄んでいれば、どーんと南アルプスが見渡せるのだろうが、
いつのまにか雲が多くなってしまって、あまり展望は効かず。
写真は行った人だけのお楽しみ、という事に。
と、ビジュアル的にはいまひとつでも、聞こえるのは山を渡るウグイスの声と、
時おり頭上を行くアブの羽音だけ。
時々差し込む初夏の陽射しの中の、明るい静寂はなかなかよかった。
いい季節だ。
***
そのまま南に下るとツーリングガイド等にも出てくる、下栗地区がある。
「日本のチロル」、「天空の里」なんて呼ばれて気恥ずかしいが、
ここは一度行ってみたかった。
近くまで行くと、あの景色を見るためだけの展望スポットがあることを知って、
バイクを置き、15分くらい登山道のような山道を歩く。
なるほど。
100人居たら98人が撮るような写真にしかできないのが悔しいが、
薄曇のフラットな光線下ならこんなものかもしれない。
もっと斜光の時なら立体感がでるだろうな。
日の出前に来て、南側の斜面に最初に光が射す頃、とか
日没後、九十九折れを行く車のテールランプをバルブで流すとか。
重なる条件によって、見え方が大きく異なるのは容易に想像がつく。
ふーむ。
そうして再びR152へ。
そこからまた北に上がって中央道に戻るのもつまらないので、
時々工事に翻弄されながらも下道を走り繋いで帰る事にした。
今回はタイトな山道は思う存分走れたけど、写真は不完全燃焼だったな。
と、道すがら見つけた吊り橋に乗り込んでもみたが、思ったより楽しくなかった…。
***
バイクで出掛けると、1つ2つはパソコンのモニタで見るのが楽しみな場面があるけれど、
この日みたいな事もよくある。
仕方ないのだ、そんなのは。
斜光が欲しけりゃ2時に起きて出ろ、
バルブが使いたけりゃ、暗くなってから帰れ、という事だ。
ロケハンしろ、定点観測しろ。通え。
でもこの日、山道の曲がりくねった路面を見ながら思っていたのは、
その日、その時なりを撮りながら、ああ、これはいいなあと思える目を持ちたい、ということ。
山里の風景に限らず、なんてことない街角や、庭先の葉っぱにだってその対象はある。
写真を撮るのは楽しい。
でもそれを見る目を持つのは難しい。
精進しよう。