夕べ見た夢の話をしよう。
夕べ見た夢の話をしよう。
夢の中の私は、ロボットの小鳥を飼っていた。
ヒタキの仲間のような姿かたちで、色は漆黒。
たたんだ翼に、金属光沢のある小さな赤い紋が左右一つづつあった。
ロボットとはいえ仕草も飛ぶ事も本物の鳥と見分けがつかない。
そんな小鳥を、夢の中の自分は大層大切にしていた。
けれどもその時、羽ばたいて道路を横切ろうとした小鳥は、走ってきた車に運悪く接触してしまった。
一緒にいた妻が、あっと声を上げる。
もんどりうって路面に落ちた小鳥のすぐ横を、別の車のタイヤが行き過ぎる。
傷ついた翼をばたつかせて懸命にその場を逃れようとする様は、命ある小鳥そのものだ。
走ってくる車にクラクションを鳴らされるのも構わず、慌てて駆け寄って拾い上げた。
柔らかい羽毛にそぐわない、ひんやりとした感触。
そうだ、機械だもの。わかってる。
そっと開いた手のひらの中、腹の羽の下にはごく小さなデジタルの表示が見える。
ちょうど携帯電話の感度表示のようなバーグラフがその時、ふっと消えた。
と同時に漆黒の羽毛は、みるみるうちにきらめくような深く鮮やかな緑色に変わっていった。
動かなくなった緑色の小鳥を手にして、私は泣いていた。
***
そこで夢から意識が戻ったのだが、目覚めた私はベッドの上でも嗚咽を漏らしていた。
訳わからん、なんちゅう夢なんだと妙に覚めた頭で半分思いながら、
もう半分はむしろ泣くのを心地良くも思っていた。
映画や歌で、涙腺が緩むこともたまにはある。
けれども感情に任せて泣くことなど、今の私にはない。
最後にこんなふうに泣いたのは、多分小学校の低学年の頃だろうか。
将来あんなふうに自分が泣くことがあるとしたら、いったい何を失った時なんだろう?
死んで緑色になった小鳥が何を象徴しているのか、さっぱりわからない。
それにしても無意識下の心の紡ぎ出す映像って、本当に不思議だ。
そして、時に残酷なほど美しい。