その日の朝はこの秋一番の冷え込みで、念のためにダウンのインナーを用意して中央道へ。
高速上ではそれを着ようか迷うほど寒かったが、中津川から下道に降りて
木曽福島の道の駅に着く頃には、だんだん気温も上がってきた。
空気はそれなりに冷たいが、雲ひとつない快晴の陽射しは強くて、
日向にいると冬のジャケットが邪魔になってくるほど。
R19を北から下ってきたharryさんは、今日は新しいR nineTで。
快適な巡航のための装備をそぎ落とし、シンプルに走る楽しさを突き詰めたようなこのマシンだが、
リアシートにはちゃんとお土産の入るバッグが付けられているのがharryさんらしい。
とりあえず県道20を上って開田高原に入り、何年か前の秋にも訪れたタビタのパンへ向かうことにする。
その前に今回はちょっと違った方法で車載カメラの用意をして、出発。
県道から店へ向かう道は、前に来たときはもっと石がごろごろしていて、
知らなかったらとてもロードタイヤで踏み込む気にはならないと思ったけれど、
月日の経つうちに踏み固められたのか、フラットダートに近くなったような気も。
それでもスタンディングででこぼこを避けながら、そこだけ絵本の中のような
景色が広がるタビタのパンへ到着。
あれ、駐車スペースが広がったかな。
でも平日のせいか先客はなし。
こんな風景の中で下草の残る地面に停めると、我々のオートバイもどこか馬のように見える。
このお店なら、この先も無粋な舗装などせずにおいてくれるだろう。
いや、むしろそうお願いしたいくらいだ。
ここは街中のベーカリーのように、目移りするほどいろんな種類のパンが並んでいる訳ではない。
そういうのを期待する人は、他に行くお店がたくさんあります。
その時に焼けている、いくつかのパンを分けて貰いに行く、と思ったほうがいい。
元々パン屋というのはそんな場所だったはず。
この日の私はドライフルーツとナッツが混ぜ込んであるものと、その生地だけのパンを。
そしてひとつだけ残っていた、ラズベリーを包んで焼いた素朴なケーキのようなパンも。
これはよくあるシロップ漬けのフルーツパンとは対極に、果物の自然な風味だけが立っていて
コーヒーともよく合ってとても美味かった。
駐車スペースを見下ろす木の下には、看板ヤギのメイちゃんが。
前に来たときは超然と山並みなど眺めていたが、今回はとてもお愛想がよく、
しきりに頭をぐりぐり。
でもだんだんエスカレートしてきて、寄り切られそうになるharryさん。
公平な彼女はもちろん私にもぐりぐりをしてくれて、
二人ともジャケットとパンツをヤギ毛だらけにしながらここを去ったのだった。
またくるからな、メイちゃん。
その後はR361へ出て昼食にするつもりだったが、タビタのパンで教えてくれた森に寄ってみることに。
なんでも森の入口にあるお宅の先代が植えたドイツトウヒが見事に育っているので、興味があれば
見て行って、との事だった。
たぶんここだろうという家を見つけてオートバイを停め、一言断ってからと思って庭先に入ると、
冬支度の最中なのか、きちんと長さをそろえて積み上げられた薪が山になっていた。
声を掛けてみたが返事も人影もない。
ちょうど昼時のこと、食事中なのかもしれない。
そこへわざわざ呼び鈴まで鳴らすのも気が引けるので、
このままそっと森の入口だけ見せてもらって、立ち去ることにした。
少なくても入口から見える範囲はずっと奥まで下草が刈られて、
思いのほか明るく風通しが良いのは、ここが森林としてきちんと管理されている証なのだろう。
周りの木とは肌の違う、ひときわまっすぐ伸びたのがトウヒの木らしい。
しらびそ峠のシラビソでも思ったが、こういうモミやトウヒの仲間の葉に、
なぜか清涼な雰囲気を感じてしまうのは私だけだろうか。
雪でも積もったら日本じゃないみたいだろうね、などと話しながら
めいめいに写真を撮ったりして、辺りの風景を眺めた。
森の手前には睡蓮が浮く小さな池。
その葉の下にはなぜか錦鯉が。
なんだか夢にあるような風景の中で暮らす人もいるんだなあ、なんて思えてくる。
あまり長居をしても失礼だろうから、そろそろ行こう。
お腹も空いたしね、と静かにクラッチを繋いで走り出し、
R361を東へ。
***
開田は蕎麦どころでもあるのだが、今回はharryさんが見つけておいてくれた
「花猿亭」という店で、パスタを食べることにしていたのだ。
自分は生ハムの柚子胡椒クリームのパスタ、harryさんはナポリタンを頼んでみた。
クリームソースに柚子胡椒がどう結びついたのか不思議だが、
ソースに紛れずにちゃんとあの辛味が生きているのが面白い。
新蕎麦にも負けない、おいしいパスタだった。
ここではツーリング先の食事時にしては珍しく、オートバイの他にもいろいろな事を
話し込んで、思いのほかゆっくりしてしまった。
走るばかりが能じゃない。
そういう時間もたまには必要なのだ。
後半はこのままR361でR19へ出て、あとはそれぞれ北と南へ分かれるつもりでいたのだが、
この日の鳥居トンネル付近は片側交互通行で、工事渋滞が予想される。
それならいっそ野麦峠を越えて県道26の分岐で別れようか、ということになった。
松本側のR158なら渋滞はないだろうし、R19の下りは工事はあったものの、
さほど大きな渋滞はなかったはず。
という訳で少し戻って長峰峠を越え、県道39で野麦峠へ向かう。
途中、かつての学校のような、とても風情のある建物の前で、最後の一息。
こういう背景には、ドイツ生まれでもRnineTはしっとりと馴染むが、
TDMのイエローは違和感ありあり。
なんだろうね、イタリアンレッドみたいな赤の方がまだ馴染むかもしれない。
ダーク系の車体色ならそうでもないんだろうけど、
この辺りが愛する河原毛の、数少ない弱点なのであった。
そうして峠を越え、西日が届かなくなった野麦街道を下って分岐へ。
少しずつ夕方の冷気が降り始める頃、それぞれの方向へ走り出した。
新しいマシンはモダンな作り込みと、これからじっくりと愛着を注いでいく
悦びに満ちていて、とても楽しそうだ。
けれども自分は、もうしばらくTDMと過ごそうと思っている。
今頃ではあるけれど、見直すところは見直して、くたびれてきている部分には
疲れが出る前に手を掛けていってやろう。
時間はかかるかもしれないが、いろんなところへ連れ出して、
もっと写真も撮ってやろう。
と、近頃また思っているのです。