今日は妻の帰りが遅くなるので、夕食は実家に寄ってすることに。
なんでもない日の夜、食べさせてもらうのは久しぶりかもしれない。
まぁ、あるもので良けりゃねって母は言うけれど、あるものでいいんだよ。
むしろそういうのが食べたいんだから。
今日は妻の帰りが遅くなるので、夕食は実家に寄ってすることに。
なんでもない日の夜、食べさせてもらうのは久しぶりかもしれない。
まぁ、あるもので良けりゃねって母は言うけれど、あるものでいいんだよ。
むしろそういうのが食べたいんだから。
刺身もちょっとだけどあるよって。
平目じゃないの、豪華だなぁ。
昨日の残り? でもちゃんと縁側もあるぞ。
烏賊と菜花の辛子味噌和えも。
こういうのって葱やわけぎが多いけど、菜花でもいいよね。春だし。
普通の家のいつもの夜だから、お皿も盛り付けも当たり前に普通だ。
でも当たり前においしいのは食べる前からわかっている。
結婚して家を出るまで食べてきたんだもの。
私はこの人が作ってくれたものでできた体で生きている。もしかしたら心とか考え方もかもしれない。
すっかり自分に染み付いた、考える以前の感覚で我々がオートバイを操作をするように、母は古い造りの台所からこうした料理を作り出し、食卓に乗せる。
でもそれが、やがて失われていくことに私は気付いている。
自分にも白髪が増えてきた。時間は誰にも同じように過ぎていく。
こういう事こそ残しておくべきなのかなと、お皿にカメラを向けている息子に不思議そうな顔をする母。
いや、今のうちに写真撮っとこうと思ってさ、と言うと、あっはっはと笑い「じゃあこれも撮っといてよ。あ、これも出そう」と冷蔵庫を開け、食卓の上がどんどん狭くなってくる。
おまけに汁物はそこじゃなくてこっち、刺身はここ、などと配置まで仕切り出す。
私は母のこういうところが好きだ。
***
家族のために料理をするすべての人たちへ。
いつもありがとう。
ずっと元気でいてください。