やけに涼しいと思ったら急に蒸し暑くなったり、スコールのような雨があちこちで降ったり。
子供の頃は気候が変わるなんて思ってもみなかったが、季節に違和感すら感じるようなこの頃。
でもさすがに寝苦しい夜は蝉の鳴き声と共に過ぎ去り、夜はいつのまにか虫の音が大きくなってきた。
もう少しすると乾いた空気が入ってきて、待っていた季節がやって来る。
予定はなくても、見上げた空にいわし雲を見つけただけで嬉しくなる季節。
そんな頃、ふと夜の匂いをかぐとどこかへ行きたくなるのはなぜだろう。
やけに涼しいと思ったら急に蒸し暑くなったり、スコールのような雨があちこちで降ったり。
子供の頃は気候が変わるなんて思ってもみなかったが、季節に違和感すら感じるようなこの頃。
でもさすがに寝苦しい夜は蝉の鳴き声と共に過ぎ去り、夜はいつのまにか虫の音が大きくなってきた。
もう少しすると乾いた空気が入ってきて、待っていた季節がやって来る。
予定はなくても、見上げた空にいわし雲を見つけただけで嬉しくなる季節。
そんな頃、ふと夜の匂いをかぐとどこかへ行きたくなるのはなぜだろう。
海鮮お味噌汁、ではなくトムヤムクン。
添えてあるのは春菊じゃなくて、ちゃんとパクチー。
近頃はわりと普通に売っているようで、近所のスーパーで見かけたからと妻が買っておいてくれた。
タイの味にはやっぱりこれがないと、どうにも気が抜けたものなるような気がする。
昔読んだ本にカメムシの臭いなんて表現が出てきて笑ったが、和食には付き物の刻み葱だって外から見たら案外そんなものかもしれない。
これはレトルトのスープに具を加えてあるだけなので、そこそこ辛くてそこそこ酸っぱい、いわばお上品な味。
でも前にバンコクで食べたのは、歩道にテーブルと椅子を出している屋台の味だったせいもあるのかもしれないが、辛さも酸っぱさも様々な香辛料も、うんと力強さを感じるものだった。
見るものに強いコントラストを与えていた太陽が沈み、風に少し涼しさが出始める頃、夕食を取りに宿を出る。
大通りをしばらく歩いて、信号をいくつか越えたら右へ。真っ直ぐ行って突当たりを左に曲がると駅へ続く道。
その途中の歩道にテーブルを出しているのがお気に入りの店。
街灯の下、皿の底を探ると厚さ1センチくらいはある生姜のスライスや、竹の根っこみたいな具とも香辛料のカタマリともつかない物がごろごろ出てくる。
出会ったことのない匂いと味に汗をかきながら立ち向かっているうち、いつのまにかそれがすんなり体に染み込んでいくのに気付く。
そういうときに体全体で実感する。ずいぶん遠くに来ている自分を。
なぜここでカニ?なんて妻に言われながら、渡りガニの炒め物をもう一皿。
ビールには氷を入れて飲むのが当たり前らしく、グラスをカラカラ言わせながら乾杯。
と、果物売りのおばさんが向こうの歩道にやって来た。刺激的な味はちょっと一休み。
乳母車のような台車に乗った、アルミの箱の中には氷で冷やしたスイカやパパイヤ、他にもなんだかよくわからない
果物が。
お互いの言葉でやりとりしているんだけどなんとなく売買が成立し、ちゃんとスイカが手に入る。
たまには失敗もあったけれど、それは旅で学ぶということだ。
きっと大昔の旅人達も似たような夜を繰り返しながら、それぞれの目的へと向かったことだろう。
***
バイクの旅にはもちろん出たい。
北海道、東北。瀬戸内の島、九州。行きたいところは山ほどある。
生まれた国でも肌で感じた事のある場所はほんの僅か。
でも知らない言葉を話す人達に混じって食事をして、馴染みのない空気の街を歩き回る、
そんな旅もやっぱりしたい。
南の島も、凍て付く石畳も、同じ色の壁と屋根が続く街並みも、世界はまだ見たことのない風景ばっかりだ。
なんて言っておきながら。
漂泊の人生、なんて文字にするとなんとも甘美に思えてくるが、明日から好きな所へ好きなだけ行っていられることになったとしても、じきに戻って来てしまいそうな自分がいる。
この歳になってやっと分かってきた。農耕民族の血には抗えない。
***
でも、収穫の終わった畑の彼方に沈む夕日を見ながら、あの向こうには一体何があるんだろう?
そんなふうに思って止まなかった血だって、きっとあったに違いない。
そんな血の騒ぐ季節が秋なのだ。